相模川や酒匂川で鮎が解禁になりました。
茶室には鮎籠を掛けています。鮎漁のヤナを模した形と云われています。鮎、美味しいですよね。
鮎は年魚(ねんぎょ)とも香りが良いので香魚とも云われ、お正月の菱葩餅には鮎に見立てた牛蒡を2本入れます。宮中のお正月に年魚の鮎を2匹使われるからだそうです。
若鮎、鮎、落鮎と味の違いも楽しいですね。
そういえば、4月17日の神功皇后(じんぐうこうごう)の御命日には鮎をお供えする!と読んで、神功皇后と関わりが有るのね!と調べ始めましたら、奥深い!とても全ては書けないほど、とっても奥深い!
古事記と日本書紀とは時期が前後するようですが、神功皇后が筑紫の末羅県(まつら、松浦縣とも、九州の唐津辺りだそうです)の玉嶋里に行幸され、三韓征伐とも新羅(しらぎ)征伐とも云われる征伐(今の時代、こんな言葉を使って良いの?)の戦勝を占う為に鮎をお釣りになられた記載があるそうです。
古事記に、玉嶋里にて、「河中の磯に座して、御裳(みも、おんも)の糸を抜き取り、飯粒(いいぼ)もちて餌にして、その河の年魚(あゆ)を釣りたまひき」とあるように、御裳の糸を釣糸にしたのでしょうね。
朕(われ)財の国(たからのくに、新羅の事)を求めむと欲す。若し事を成すこと有らば、河の魚(いお)鉤(ち、釣り針)を飲(く)へ、とのりたまぶ、因りて竿を挙げて、乃ち細鱗魚(あゆ)を獲りたまひつ、時に皇后曰く「希見(めずら)しき物なり」とのたまう。
とあるように、新羅征伐の占いをしたので、魚編に占うと書いて鮎と書くようになった!と説明してあります。
万葉集に大伴旅人作とも山上憶良作とも云われる、松浦川(まつらがわ)の一連の歌郡があります。松浦川に遊ぶ序と歌の中に鮎が沢山出てきます。
色々調べていたら、ある大学の紀要の中に、国文学者の先生の大伴旅人論という文を見つけてしまいました。そこにこの松浦川の序と歌の作り出された状況や文学性が細かに書いてあります。コピー用紙15枚、難しくて言葉や伝説、文献等を調べながらでないと一行も進まない!一回では何を書いてあるのかさえよく分からない!難しい作業で、読んでちょっと(本当にちょっと!情けない!)理解するにも何日もかかってしまいました💦
神功皇后伝説は勿論、2018年2月にお墓が見つかった?とコラムに書いた昭明太子が書かれた「文選(もんぜん)」、「論語」、瑤姫(治水で有名な禹の后)の巫山神女伝承、唐時代の小説「遊仙窟」、松浦佐用姫伝説、仙柘枝(つみのえ)説話、神仙思想等が下地に有る序と歌なんだ!という事位しか理解できない!💦ただ、昔の人々の教養が半端じゃない!という事だけはよく分かりました‥‥
鮎が宮中で大事に使われている理由も朧げながら分かった?暗闇に点程の光が見えた?そんな感じでした。
気軽に鮎を調べようと思ったのに、沼にはまってしまいました。
子供の頃、休みになると父の実家の有る伊万里に帰っていました。その途中、必ず寄っていた唐津(松露饅頭を買いに!)にこんな奥深い話が有ったなんて知らず、知ろうともしなかった自分の教養の無さも実感!
もう少しわかる様になりたいと思っているので、この大伴旅人論を読み返してみましょう!いつになったら理解できる様になるでしょう?一生無理かも知れませんが、ちょっと楽しい❣️