お知らせ・コラム

韓国4日目①

4日目は光州木浦(モッポ)の国立海洋文化財研究所へ。
バスを降りると海の匂いがして海が広がり、後ろを振り向くと「儒達山(ユダルサン)」の奇岩が見えました。
国立海洋文化財研究所は1976年に新安沖で発見された沈没船から引き揚げられた物を中心に展示してあり、中国元時代に、日本の東福寺再建の為に派遣され帰途の1323年に慶元(寧波)から博多に向かっていた途中で沈没した貿易船で、陶磁器、銅銭等々23000点も積んでいたそうです。
1975年に漁業者が6個の陶磁器を引き揚げ報告しましたが偽物だと考えられ調査されず、その後古美術商が本物だろうと考え1976年10月から本格的に調査が開始されました。
中国各地(龍泉窯、景徳鎮の白磁青白磁、福建省の白磁青白磁、建窯の天目、七里鎮窯贛州窯、吉州窯、磁州窯)朝鮮半島でも品物を積んだようで高麗青磁もありました。
資料で23000点とは分かっていましたが、実際に見ると膨大な品物で積み方もこれで大丈夫だったの?と思われるような積み方(今の私たちが考えるとちょっと雑?(笑)そんなに無造作に箱に入れてて大丈夫?そんな紐のような物で縛ってるだけで大丈夫?と。。。)
木簡も残っていて「東福寺様」「箱崎宮様(博多の神社)」の木簡、「天草四郎」の木簡もあって、思わずあの天草四郎?と考えていたら、主人はその私の顔から「あぁ!又訳の分からない事を考えてるなぁ」と察したらしく「今頭の中で考えてる天草四郎は江戸時代の人だからね、この木簡の天草四郎さんは鎌倉時代の人ね、だから天草の四郎さんなんだろうね」と。。。。。「そんな事言われなくても分かってるわよ」と答えたものの、バレてたかぁ(笑)と。。。。どうして分かったんだろう?
積まれていた建窯の天目茶碗は全て使用痕のある骨董品で、建窯以外の天目は新品であった、このことから建窯はすでに閉窯していたにも関わらず日本での需要が強かった事が確認されたそうです。
天目湯盞(とうさん)なりの物も有り、覆輪(ふくりん)の付いた天目茶碗も有りました、やっぱり中国でも覆輪を付けていたのだなぁ!と思いながら見ておりました。
贛州窯(かんしゅうよう)に行った折に見た五代から元時代にかけて作られた擂座(るいざ)茶入が沢山並んでいて、あんなに田舎の七里鎮(しちりちん)の物も積んでいたんだ!と感心しました。
本当に度肝を抜かれた展示で、もう一度行きたい!と主人に訴えています。
その後、生活陶磁博物館へ、その頃は私の足の痛みもピークで主人が冗談で車椅子を持って来て「乗ったら」と、誰かに押してもらわなきゃいけないし(絶対に主人は押してくれない!と分かっていたので)迷惑を掛けるから乗らない!と言っている私に皆様が「乗ったほうが楽ですよ、乗ってください」と言ってくださったのでそれじゃぁ!と乗りましたが、本当に楽でした、主人は写真を撮る時だけ押している風を装い、その後はHさんがずっと押してくださいました、有難うございました。
4日目午後は又今度。。。。。
     宗香

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