2日目はバスで鶏龍山へ。
もう23年か24年前に鶏龍山に行き、ピカピカという喫茶店の敷地内に朝鮮王朝時代の窯跡が有った!という記憶からもう一度鶏龍山に行きたい!と始まった今回の美術ツアーでしたので、ワクワクしながらバスに乗っておりました。
ピカピカのオーナーは奥様がご入院中という事でお会いできませんでしたが、前を通るだけでも!と無理を言って行って頂き少しの間近くをブラブラいたしました。二十数年前は何もない所にポツンとピカピカ喫茶店が有ったような気がするのですが、道が出来、周りにはレストランが何軒も出来、昔の面影は全く無くなっておりましたが、「こらこら、私有地(多分ピカピカの)だからあんまり入り込んじゃダメよ」と言う私の言葉も無視して記憶力の良い主人は「こっちが畑で、ここに窯跡が有った」とウロウロしていました。窯跡らしきものは見えなかったですが、行けて良かったです。
1933年に鉄画粉青沙器の伝承、復元を目的に伝統と未来が共存する陶磁文化の創出地として出来た「鶏龍山陶芸村」の村長さんにご案内、ご説明を頂きました。
鶏龍山は15〜16世紀に日本で言う三島(韓国では粉青沙器)、刷毛目、白磁などを焼いた窯で、鉄分を含む色の有る土に白い化粧土を掛け、その上から透明釉を掛けますが、白い化粧土が貴重な為に刷毛目の技法を用いる事が多いようです、中国の磁州窯のらっきょう形(中国では玉壺春と呼ばれます、春と付いているのでお酒を入れる物だったのでしょうか)や鉄絵が似ていてどうやって見分けるの?と思っていましたが、磁州窯は白化粧がズブっと漬けてあって、鶏龍山は刷毛で塗っていて確かに全然違う!と今回目から鱗でした。中国、韓国の陶磁器によく書かれている魚も、中国は下顎の出ているケツギョ、韓国はソガリ(高麗ケツギョ)、微妙に違っていて面白いです。
村長さんの工房には、三島模様に使う判が沢山並んでいましたし、彫三島に使う箆も有ったような気がします。脈々を伝承されているんだなぁ!と感じた工房見学でした。
鶏龍山は、文禄・慶長の朝鮮出兵の際に鍋島直茂公が日本に連れ帰り、陶工達と「泉山磁石場」で磁器の原料を発見し、有田焼を完成させた「李参平(りさんぺい)」の故郷でもあります、李参平が日本に来てくれなければ日本の磁器、有田焼もこんなに発展しなかったはずで、こんなに遠くから来てくれた?連れてこられた?んだなぁ!と感慨深いものがありました。
昼食は鶏龍山陶芸村内の「サンシン食堂」でコンビチゲ(おからチゲ)を頂きました、もっとポソポソしているのかなぁ?と思っていましたがしっとりと美味しかったです、韓国ドラマを観ていると地元の食堂の壁に落書きがある光景が出て来ます、お店の壁にあんなに落書きして良いの?といつも思っていたのですが、サンシン食堂の壁には落書きがいっぱい有って、本当なんだ〜!と妙に感激しました(笑)
2日目午後の扶余観光は又近々。。。。扶余は百済の王都、今韓国の時代劇で百済の勉強中です💪どれも長〜い連載でいつ観終わるのか?それまで根気が続くのか?不安ですが頑張りましょう!
宗香
2026/03/27