学園から2025年の記録という冊子をお送りいただきました。
62期は最終的に一名の卒業だったそうですが、どうやってお一人で頑張って続けていかれたのだろう?どんなに大変でいらっしゃっただろう!と。。。。勿論お家元、校長でいらっしゃる容子奥様、先生方、事務の先生方の手厚いサポートがあっての事だと思いますが、3年通して同期と喜びを分かち合う事も出来ず、愚痴る事もできずの中よく耐えていかれたなぁ!と頭が下がります。
何かのCM「口だけの人は帰った方が良い」ではありませんが、ふわふわして覚悟も無く入学した私に「遊びで来てるんだったら帰った方がいい」と言い放った同期(因みに主人(爆笑)はぁ?(怒)年下のくせに!若造が!と思いましたね)そのおかげでほんの少しの覚悟ができましたし、楽しい事は同期とワイワイ楽しみましたし、議論もしましたし、苦しい事は同期でこれはどうなのよ!とお酒を呑みながら発散もできました。それも勿論、一流の先生方を揃えてくださり、危なっかしい学生に「やってみなさい!」と見守ってくださった、その時代のお家元(鵬雲斎宗匠)、奥様、先生方、先輩、後輩の手助けがあってのことですが、どうにか無事に3年間やって行けた様に思います。「道・学・実」を礎に学んだあの3年間は私の人生にとって宝物です。
1962年、鵬雲斎宗匠のご指導から始まった裏千家学園、冊子には一期生の写真が載っていました。若き日の鵬雲斎宗匠、井口海仙宗匠、濱本宗俊先生と共に一期生でいらして私共が学園時代お世話になった、星野先生、濱田先生の若きお姿も写っておりました。何より嬉しかったのは私の師匠、梶沼先生の若き日のお姿もありました。アメリカで過ごしていらした先生はお母様(大先生、厳しい先生でした)が倒れられ急ぎ日本に戻っていらして、そのまま茶道を継ぐ事になり茶道の勉強のために裏千家学園に入学され、その後北九州に戻られて梶沼社中の指導をされていらっしゃいました。よく「何にも茶道のことを知らない私は、お庭で露路の手入れをなさっていた淡々斎宗匠を庭師のおじさんと間違えて、おじさん!学園の寮はどこですか?って聞いたのよね、お家元はあっちだよ!って優しく教えてくださって、後で分かって冷や汗をかいた」と話してくださっていました。学園に行きたい!という私を最初の師匠は「それならば、梶沼先生の所でお世話になりなさい」と梶沼先生に託してくれ、それからは先生の後ろ姿を追いかけながら茶道をやって来ています。早く亡くなってしまわれましたが、主人が最初の著書を出した頃で、「先生のご指導のおかげで主人をサポートできました、何も御恩返しができませんでしたが最初の本が間に合って良かったです」との感謝の気持ちを込めて棺に本を入れました。
実家の父はよく梶沼先生を「侍の様だな」と言っておりました、確かにキリッと引っ詰めた髪型も、優しく面倒見が良いのになかなかそれを表には出すことがなく「寄らば切るぞ」という雰囲気もお侍さんの様でした。お母様、私達には大先生が亡くなられた時に一回だけ弱ったお姿をごく限られた人にだけお見せになりました。ホテルに籠りお食事もなかなか召し上がれず私他二、三人でお世話しておりましたが、そうしながらも外に出られると何事もなかったかのように振る舞っていらして、こういう生き方もあるのだ!そうありたい!と思っておりました、茶道の師匠でもあり、人生の師匠でもありました。
冊子のお陰で若い頃を懐かしく思い出しました。ありがとうございました。
冊子にはお家元の、茶道をやっていくにあたっての有り難い御講話も載っておりました、じっくり読み込み茶道の糧にして参りたいと思っております。
宗香