心痛むニュースが続いています。
いろんな状況で生きづらい世の中なのかも知れません。諦めるという想いを許してもらう事が容易ではない今の世の中で、突き進んで行かなければ取り残される想いを抱えてジレンマに陥る感覚は並大抵の事ではありません。自分の無力さや歯止めのかからない心の暴走を経験した身としては、誰かに必要としてもらえているかも知れない!という些細な想いを大事にしていきたい!とみんなが思えると良いな!と思っています。
つい最近、孫2号が「無人島に何か一つ持っていくとしたら?」という問いに「おばあちゃま」と答えてくれたと‥‥娘が「おばあちゃまは泳げないし、食べ物を探す事もできないし、きっと何の役にも立たないよ」と‥‥私は「無人島に行ってすぐに2号が介護することにならない様に頑張るわぁ〜」と言って笑いました。ちょっとでもおばあちゃまが必要(彼女でもできたらおばあちゃまの出番は無いでしょうが)!と思ってくれる事に涙が出るような有難さと幸せを感じて、それを糧に生きていきたいと思った出来事でした。
華鬘草(けまんそう)別名タイツリソウが可愛い花を咲かせています。この花を見ているとあまりの可愛さにホッコリと心が癒されていきます。
華鬘草はお花の形が、仏具の荘厳具(しょうごんぐ)で吊仏具である華鬘の様な形なのでその名前が付いた様です。確かによく似ている!
華鬘は元々インドで貴人(きにん、ですよ!時々貴人点の事をきじんだて!と仰る方がいて、きじんは奇人変人って時に使われるんだから!と私につっこまれます。先日、若い方には奇人変人が通じない事が発覚!そうかぁ!時代遅れなのかな?)に捧げられた生花の花輪だったそうです。仏像に生花の花輪が掛けられているのはよく見ますよね。孫達のフラのホイケ(発表会)に行くと子供達がレイを掛けてくれます。大事に思って掛けるのですね。
生花だった物がその内、牛皮(ごひ、要するにぎゅうかわですよね)でできたり、金で出来たりする様になり仏像を荘っています。平安時代や室町時代の牛皮華鬘(ごひけまん)が残っていて博物館等で見る事ができます。
団扇形で、首や頭に掛ける花輪ですから必ず?総角(あげまき)の紐が中心にあって、両側に宝相華(ほうそうげ)や唐草、迦陵頻伽(かりょうびんが)等が描かれています。
法会の時に散華供養(さんげくよう)されますが、これも仏様に掛けた花輪の花を撒いて仏様を供養しているのでしょうか?
華鬘草からいろんな事を学ばせてもらいました。ホッコリして、癒されて、お勉強もさせてもらって、有難いことです。
黄華鬘草、紫華鬘草も有るというので調べてみたら、紫華鬘草って雑草の様に生えている可愛い紫のお花でした。可愛いので、このお花ってなんていう名前なんだろう?と長年思っていたのですが、判明しました❣️
総角
あげまき
茶壷の行の結びもあげまき結びですね。
源氏物語でも総角の帖、薫が大君に詠んだ和歌、「総角に長き契りを結び込め、おなじところによりもあわなむ」と詠んだところからこの名があるそうです。
迦陵頻伽
かりょうびんが
極楽にいるとされる上半身は人間、下半身は鳥、非常に美しい声で鳴き、鳴き声は仏の声を形容すると‥多くのお寺の三門楼上に描かれています。
謡曲「羽衣」にも出てきます、学園時代以後謡曲を習う機会を逃していますが、なぜか羽衣のこの部分は頭に残っています。