お知らせ・コラム

美術ツアー2日目

昨日の花冷えから一転暑いくらいの気温になっています。
昨日はお稽古の終わりに家族一同が集まって主人の誕生日を祝ってくれました。孫も大きな子は色々と忙しくなってなかなか集まれませんが、中3の1号を除いて皆で楽しく遊んでいました。主人と孫6人と写真を撮っておりましたが、遅くに合流した孫1号は「この写真に私が居ないじゃない」と早速、結局1番目立つ位置に自分を2人も入れて写真を加工していました。今はこんな事も一瞬で出来るんですね、驚きです。最初はやり方を習って、頭を柔らかくして孫達に付いて行かなきゃ!と思ってます。

一泊目の湯田温泉には「白狐伝説」が有って、白狐が毎晩温泉に浸かっているところをお寺の和尚様が見つけ、田んぼを掘ってみると源泉が湧出したのだそうです。中原中也の出身地でもあって、種田山頭火もお湯を気に入り滞在した地でも有るようですよ、良いお湯でした。

雪舟の庭が有る「常栄寺」に行く途中ガイドさんが「姫山伝説」の話をしてくださいました。
昔、殿様が美女に横恋慕をして捕らえて想いを遂げようとしますが、美女は節操が固く殿様を拒みました、それに怒った殿様は井戸に美女を吊るし蛇ぜめにします。美女は、美しく生まれた身の辛さを後世の女性達に味わせないために「この山から見える限りの土地では、永久に容色兼英の女性は生まれぬように」と悶え苦しみながら亡くなったというお話だそうです。ガイドさん(山口県の方)曰く「なので山口には美人が生まれないという事のようです」え〜〜!そんな事ないよね(笑)うちの妹分も山口出身です、若い頃は可愛かったですよ(笑)

凡そ500年前に大内政弘が別邸として建て、庭を雪舟に依頼して作った!とされています。
大内氏の庇護を受けた雪舟は、山口、九州で創作活動を行っていて、割と雪舟の庭も多い所です。流石に大内政弘の依頼のお庭は素晴らしく、落ち着いた気持ちになりました。叔父の家にも雪舟四代庭園の一つといわれる雪舟の庭が有りました、残念な事に、今は見る影もありませんが⤵︎。私が子供の頃は、池と石の庭を囲むように屋敷が有り、走り回って遊んでいた記憶があります。その頃に庭の価値がわかっていたらもっときちんと見ておいたのに!と思いますが、記憶も曖昧で、雪舟もそんなに有名な人だとは思わずに「雪舟さん」と気軽に呼んでいました。祖母の従兄弟の家にも小さいながら雪舟の庭と言われている庭が有りましたから、その辺に色々と作っていたのかもしれませんね。綺麗に手入れされている「常栄寺」様のお庭を見ていると心が和みました。

次は毛利家偶数代藩主の菩提寺「大照院」様へ。南禅寺派の禅宗寺院です。中国の儒教の考え方、儒式墓葬に則って、毛利家の初代秀成、偶数代のお墓は大照院、奇数代のお墓は同じ萩市内の「東光寺」に有ります。
大照院様ではお寺の方が案内をしてくださる!という事で元気な丁寧な案内をして頂きました。苔むした階段を登っていくと、左右には無数の灯籠が有りました。初代秀成の頃には殉死者(24、25、26、32、33、58歳の殉死者のお墓が有ります)がいましたが、そのうちに、藩にとっての有望な人材をこういう形でなくしてはいけない!との考え方で、その代わりに灯籠を立てたそうです。それで沢山の灯籠が有るのですね。8月には全ての灯籠に火を灯し霊を弔っているとの事、案内をしてくださった元気な「みっちゃん(お寺のお手伝い、ボランティアをなさっているそうです)」が「綺麗ですよ!是非どうぞ!泊まるところがなかったらみっちゃん家に泊まって良いですよ」と言ってくださいました。元気で親切な「みっちゃん」でした。池では天然記念物にもなっているモリアオガエルが綺麗な声で鳴いていました。ボイスメモで録音したのですが‥‥ご一緒したみんなの声がうるさ過ぎて(笑)綺麗に取れませんでした(笑)
昼食の後は海鼠壁、夏蜜柑が綺麗な萩の菊屋横丁、江戸屋横丁を散策。泣き虫だった幼き日の高杉晋作は、家人に「金比羅社円政寺」に連れて来られ、天狗の面を見せられて、もの恐れしないように躾けられた!とか。その話しを聞いて、私も子供の頃悪さをすると、祖母に近くのお寺「龍潛寺(私達はにったいさんと呼んでいました)」の門の阿吽の仁王様の前に連れて行かれて謝るように躾けられた事を思い出しました。怖かったなぁ!あんまり思い出したくなかった!柔軟な気持ちを持っていた祖母からそんなに怒られた思い出は無いのですが、あれは怖かった!
その後は山口県立萩美術館•浦上記念館へ。
長くなってしまったので、ここからは改めて書きます。

                宗香

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