近くの高麗山の緑がとても綺麗です。濃い緑、薄い緑、黄緑、様々な緑で山を彩っています。
4月なのですが、まだ四畳半には自在になで肩の釣釜が掛かっています。釜の蓋の摘みが孔雀なのです。どうも、ああいう鳥の摘みや形の物を見ると鳳凰だと思ってしまうのですが、この釜の摘みは孔雀なのです。そういえば、尾が頭と同じ高さ迄真っ直ぐにスッと立っています。
鳳凰は、天皇陛下の即位礼正殿の儀でお使いになられる「高御座(たかみくら)」皇后様の「御帳台(みちょうだい)」の天蓋の一番上に載っている金の鳳凰も、鹿苑寺金閣の屋上の鳳凰も、平等院鳳凰堂の鳳凰も尾は立っていますが真っ直ぐに頭の上までは立っていません。
平安時代の貴族の邸やお庭には、鶴や、孔雀や、鸚鵡がいて楽しんでいたようなイメージが有りますが、孔雀も鸚鵡ももっと前に日本に入ってきていたようです。日本書紀に推古天皇六年(598年)に新羅(しらぎ)が孔雀一羽を貢献した記録があるようです。そういえば日本書紀にはお香も推古天皇3年(595年)に新羅から貢献されたと書いてあるようです。いろいろ貢献されていたんですね。
仏教では孔雀明王という仏様がいらっしゃり、孔雀の背の蓮台に明王には珍しく忿怒相ではなく菩薩の慈悲相の明王様が結跏趺坐(けっかふざ)してお座りになり、四本の手の一本には孔雀の尾羽根(災難を払う力)をお持ちになっておられます。もう三本には蓮華(仏の慈悲)、吉祥果(鬼を退治する霊力)、グエン果(元気が出る)をお持ちになってるようですね。
密教では特別な修法(しゅほう、すほう、ずほう、とも)の御本尊として重要な位置を占めておられる!という事です。
インドでは孔雀は毒蛇や毒虫を食べる事から、毒を除く力が有ると信じられてきたそうです。毒は煩悩に例えられて孔雀は煩悩を食い尽くして人々を守る存在と考えられるようになり、孔雀明王が誕生したと書いてあります。病気平癒、延命、雨季を知らせる鳥というところから雨乞い、等の功徳があるそうです。
インドでは孔雀は「転輪聖王(てんりんじょうおう、この王が現れると武力を用いず全世界を平定する)」であった!というお話が‥‥
ギリシャ神話では、ゼウスとゼウスの愛人イオ、嫉妬深い妻ヘラ(それって、ヘラが悪いんじゃなくて、ゼウスが悪いんじゃないの?と思う現代人、私です、時代も東西も問わず永遠の問題?)ゼウスとヘラの間にゴタゴタが有って、ゼウスはヘラの忠臣、百目を持つ怪物アルゴラを退治してしまいます、ヘラは忠臣を失ったその慈悲から、飼っていた孔雀の尾羽にチクチクと百目を縫い付けたので今の尾羽の模様になった!との話があるようです。孔雀が尾羽を広げる度にその話しを思い出すのもちょっと怖い!です💦
綺麗な鳥で尚且つ毒に強いとなると、宗教的な話しも、物語りも沢山有りますね。