地震の影響は如何でらっしゃいますでしょうか?誠之庵では、立て掛けていた水屋の簀子が倒れていた程度でしたが‥‥
娘が日本文化学科の授業に行っている大学では、地震の次の日、東海道線が止まっていて、動き出しても時間通りには動いてない為に急遽オンライン授業になりました。
90分授業が二コマ、3時間の授業の準備は大変です。普段は対面授業で点前等も行いますが、流石にオンラインでは点前の授業が行えず、緊急事態宣言の間も2回程オンライン授業だったので、学生達の興味を惹きそうな茶道の話題を探すのが大変になってきています。
授業の時間の前に、庭に咲いている花を撮影しに行ったり、お菓子作りの工程をカメラに収めたり、懐石の資料をパソコンに移したり、バタバタと準備しておりました。
それでも時間が余ったらしく、パソコンとカメラを持って「そんなに広く無いですが、誠之庵ツァーをしましょう!」と玄関から寄付き、茶室、水屋、と部屋中を写しながら歩いておりました。床の間も三つ有るので其々軸がかかって、花が入れてあります。その説明もしていた様です。
丁度孫の幼稚園のお迎えから帰って来て(娘が仕事の時には私が行く事が多いのです)へぇ〜!今は便利ねぇ!こんなことも出来るのね!と感心して見ていた私を呼び止めて、「ちょっとこの版木(はんぎ、ばんぎ)を叩いて。」と
「お客様は何人のつもりで叩く?5人くらいでいいかな?」と木槌で五回打ちました。茶事の時、待合にお客様が揃われましたら、お詰が版木を打つか、部屋の外に控えている半東に揃いました!と挨拶に行きます。
誠之庵の版木は、多分何処かの御寺さんの垂木(たるぎ)?の部分だったんじゃないか?と思われる、牡丹の花の彫刻です。小さいですが、どっしりとしていて堂々としていて見ていると力が湧いて来ます。
版木を打つのは、やはり禅宗の開梆(かいぱん)、魚板(ぎょばん)、魚梆(ぎょほう)、魚鼓(ぎょこ)飯梆(はんぽう)馨(けい)と呼ばれる仏具からきているのでしょうか?魚板や馨は武蔵野音楽大学のWEB楽器博物館の中にも入っています。
禅宗のお寺の庫裡などに大きな版木が掛かっているのを見ます。坐禅の時間ですよ〜!とかお食事の時間ですよ〜!とかをこの版木を叩いて知らせるのだそうです。
黄檗山萬福寺には有名な口に玉を咥えた魚の形をした開梆が有ります。
「勅修百丈清規(百丈懐海が禅宗の修道生活を律した規範百丈清規を元代に復元した物!ということです)」に「相伝えて云う、魚は昼夜常に醒む。木に刻して形を象り、之を撃つ。昏惰えお警むる所以なり」とあり、「魚の様に昼夜問わず、寝る間を惜しんで、修行に励む様に」と開梆を打つ!と書かれています。
木魚もみんなが寝ない様に、魚の形をしている様ですよ。なので、法事等でのお経の間は寝ちゃ駄目ですよ!
中国の嵩山少林寺(すうざんしょうりんじ、達磨大師が面壁九年をなさって、慧可が達磨大師の前で断臂したお寺、面壁なさった所は山の上に有り時間の関係上行けませんでしたが、慧可が断臂した所は見てきました。)の食堂(じきどう)の前に魚の形の開梆が掛かっていました。今でも日本だけじゃなくて、本家中国でもこれを打って食事の時間を知らせるんだなぁ!と興味深く見てきました。
こういう版木一つとっても、茶道と禅宗の繋がりは深いと改めて思いました。