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韓国2日目③

朝鮮半島三国時代、高句麗、新羅と共に有った百済、領土争いの末、当初の都•漢城(現在のソウル)から熊津(現在の公州)更に泗沘(サビ、現在の扶余)と遷都し、660年に唐•新羅軍に滅ぼされるまで続いた国で、滅ぼされた百済の王族は日本に逃れたという日本とも関わりの深い国です。前から百済や伽耶は興味深い!と思っていた国なので、20年前にも楽しみに行きましたが、何にも無い所で想像力に乏しい私はあれっ?と思った記憶がありますが、今回はユネスコ文化遺産に登録された「百済歴史遺跡地区」になっていて整備されていました。
まづは贔屓(亀みたいな龍の子、重い物を背負うのが好きな子です)が出迎えてくれた「国立扶余博物館」圧巻は「百済金銅大香炉」でした。私は足が痛いので早々と引き上げ、孫達がお土産はキーホルダーが良い!と言うのでミュージアムショップに探しに行き買って来ました。
その後、扶蘇山に築かれた扶蘇山城(ぷそさんそん)へ、120年に亘り王都を守った要塞で百済滅亡の折には約3000人の宮廷女官が「落花岩(ナッカアム)」から白馬江へ身を投げ貞節を守った伝承もあるそうですが、私は流石に山道は無理!と判断、入口で官北里百済遺跡を見ながら皆様をお待ちしておりました。
その後、広い広い「定林寺(チョンニムサ)址」へ、広かった〜(泣)百済時代には金堂、中門、回廊、講堂と百済様式の伽藍構成だった大寺院の中央に、他の建物が崩れていった中、1400年もの間ひっそりと立ち続けている「五層石塔」、色んな歴史、栄枯盛衰をジッと見て来たのだろう!と感慨深いものがありました。屋根の裏側に穴があり其処には風鐸が下がっていただろう!との事、どなたが現地ガイドさんに聞いたのかは分かりませんが、そんな事を聞かれたのは初めてです!と。。。。。流石に誠之会員(拍手)
主人は二十数年前に来た時にこの辺りに骨董屋さんが有った!と。。。思い出しました、確かに門の前に骨董屋さんが有って、開いていなかったのにガラスドアに顔をくっつけて中を覗き込み、中に書いてあった電話番号に電話してオーナーを呼び出して開けてもらい、ワイワイガヤガヤ買い物をしました。主人は骨董屋さんを探しに行ったようですが、此処も二十数年前とは打って変わって、ポツンと一軒あった骨董屋さん辺りには道路が出来、商店街が出来、すっかり町になっていて見つからなかったようです。
夕食は扶余の「ソドン韓牛」にて韓牛焼肉、大きなお肉と沢山のお菜、毎日こんなに食べて大丈夫だろうか?と思いながら止められない程食べてしまいました。
私が初日から「ダイソーで、ラーメンスープの素(粉末)が買いたい!」と騒いでいたので添乗員Kさんが大田のホテルの近くに「韓国ダイソー(日本のダイソーとは別会社で2023年に100%韓国資本になっています、韓国ならではの商品が多いそうです)」を見つけてくれました、ただホテルから600メートル程でこの足では歩けない!と諦めていたら、元気な参加者お二人が「買いたい物の写メを送ってください」とお買い物に行ってくれて、その後添乗員Kさんも「私も行って来ますよ、写メを」と行ってくださいました。本当に感謝です。
2日目でした。次は3日目に入ります。
    宗香

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