淡交7月号に亀蔵棗と梶鞠(2021年7月6日のコラムに書いてます)の絵が有りました。亀蔵棗の説明も載っていました。河図洛書のことも書かれています。河図洛書についても2021年7月22日のコラムに書いてあります。私がコラムを書いた時点には、なんとなく本当の説なのか?分からなくて書いていなかった亀蔵棗の字についても、中国殷時代の占巫(せんふ)「帰蔵(きぞう)」に由来していて、「帰」の字を洛書に因んで「亀」の字を圓能斎が使われたと書いてありました。2年のモヤモヤがスッキリしました。非常に珍しく、価値のある書物を表す、河図洛書という四字熟語もあります。
道具の扱い方、難しいですね。社中が、この点前の茶杓の扱い方は?この点前の棗の扱い方は?この点前の帛紗の扱い方は?と点前ごとに聞くので、そうかぁ!点前毎に道具の扱い方を覚えてるから、ゴッチャになって分からなくなるのね!と気が付きました。
例えば、点前によってちょっと丁寧になったり、置く場所が違ってきたりしますが、中節の茶杓の扱い方、元節の茶杓の扱い方、象牙の茶杓の扱い方、基本的にはそれぞれの扱い方が決まっています、棗も薄器として使う時、濃茶器として使う時、どちらも棗の扱い方ですよね。
伝物は書けませんが、そう考えると目の前の霧がパァ〜と晴れるかもしれません。
自分用にアンチョコ?ノートを取っていますが、茶杓は茶杓の項、帛紗の項、等々、道具の扱い方別に整理した物も作っています。人に見せるわけではなく、自分用ですから、下手で自信の無い私の字でも、自分が分かれば良いので気が楽です。
子供の頃、父は「大学に行けば、どれだけ授業の説明を聞き取れるか、書き取れるかだ!」と、弟と私を並べて、父が声に出して読む本をどれだけ書き写せるか!と書かせていました。どんな字でも自分の記録だから自分が分かれば良い!と教育されたので字が下手なのよねぇ!と字が下手なのを父のせいにしています(笑)いくらでも字を勉強する時間はあったのに😅パパ、字が下手な理由にしてごめんね(笑)父自身の字もとっても下手でした、何書いてるのか分からない(笑)父の大学時代、父のノートを見せてくれ!という人が沢山いたらしいのですが、貸してあげても何せ下手な字ですから人には読めない!父の字を読める悪友2人(お二人が亡くなるまで親友、悪友でした)が訳して皆に見せていたそうです。字が下手なの代々だからなぁ!やっぱり祐筆(妹分)が居てくれて有り難いですね。