大相撲五月場所が終わって、大の里が優勝、横綱に昇進して明治神宮での奉納土俵入りもすまされました。
結婚前は博多場所相撲によく行っていました、特別の日なので着物を着て、幼馴染のお父様が用意してくれた砂被り(溜席)で観戦していて、力士がぶつかり合う音や色白の力士が気合が入ってくると肌がうっすらとピンクになる様がなんともスリルがあって好きな時間でしたが、去年あたりから又主人共々テレビ観戦を楽しみにするようになりました。大の里は強かったです、千秋楽の豊昇龍の意地の相撲も見事でした。
ただ、残念だったのは報道の仕方、日本の国技ですから仕方ないのかもしれませんが、「8年ぶりの日本人横綱」との発言が多かった事、ここ一週間くらいは「8年ぶりの日本出身の横綱」に変わりましたが、大きな違和感を覚えたのは私だけだったでしょうか?佐田の海さんが「自分みたいな才能もあまり無く(そんな事はないでしょう!)体力があるわけでも無い人間はコツコツやるしかないと思っている」と仰ったように、1つの事をコツコツやり遂げるのに、日本人も外国人も無いと思っているんですが。。。。。外国の方は、言葉、習慣、考え方が違う日本でどれだけ苦労してやり遂げたのか!と感心さえしてしまいます。私なんかと比べては申し訳ないけれど、運動神経の鈍い私はみんながスイスイできる事もなかなかできなくて、体育嫌だなぁ!と思っていましたが、それなりに頑張ってどうにかみんなについて行かなきゃ!と思っていました。コツコツとやってきた努力に国籍は関係ないのになぁ!
軸荘付花月をしました。
軸荘は床の間に帛紗の上にのせた軸を荘り、その軸を掛けて皆様にご覧いただいた後、巻いて片付けてしまうので、素床になってしまいます。「どうして何にも無い床の間になってしまうんですか?」と質問がありました。そういえばきちんと説明していなかったな!と反省しました。
教本には「床に掛ける掛物が宸翰(しんかん)や名物、由緒のあるものである場合に行います」と書いてあります。
御宸翰は天皇が直筆で書かれた文書です、御宸翰の場合には躙口の踏石に奉書が敷いてありますので、「あぁ!本日は御宸翰をお使いになっているのね」と分かります、その下で草履を脱ぎ足袋で奉書に上がり席に入ります。
御宸翰にしろ、名物の軸にしろ、由緒のある軸にしろ、そういう畏れ多い軸を掛けて初座、懐石を、要するにその畏れ多い軸の前で食事をすることになってしまうので、巻き上げてしまうんですね。当然素床(すどこ、何にも掛けてない、何にも置いていない床)になってしまいますが、畏れ多い軸の前で緊張して初座を過ごすよりも良いかもしれません。
一度、畏れ多いことに南浦紹明(なんぽじょうみょう、大応国師)の師匠である「虚堂智愚(きどうちぐ)」の墨蹟(ガラス越しではなく床の間の)の前に1人で30分ほど座らせて頂いたことがあります。最初は沢山字が書いてあるけれど何にも読めないなぁ!とか、中国杭州に行った時に高熱だったのに径山萬寿寺(虚堂智愚が住職をしていらっしゃいました)に行ったなぁ!とか径山萬寿寺がある山の竹がサワサワと音を立てて別世界のようだったなぁ!とか頭の中で色々と考えていましたが、そのうちに身体も頭もスーッと動く事も考える事もできなくなって、「そのままで良いよ」という虚堂智愚の声が聞こえてきたような気がしました。不思議な感覚でした。そういう経験をさせて頂いたことは、あんな畏れ多い軸を拝見させていただけるのだ!という軸荘の意味がひしひしと感じられ、有難い思いが湧き上がってきます。
普通のお稽古は習い事ではありますが、そういう心持ちで稽古したいと思います。
お弟子さんは、扇子を斜めにしてないと軸が落ちますよ!ほら!足に気を取られてると扇子が縦になってますよ!という主人の声の方が思い出されるかもしれませんね(笑)
宗香