お知らせ・コラム

茶飯釜

美術ツアー4日目の更新はもう少しお待ちを。。
昨日四日間の茶事が終わりました。一日目茶飯釜、二日目引次の為真の茶事、三日目茶飯釜、四日目茶飯釜。
いや〜、今回も過酷でした。
茶飯釜は一つのお釜でご飯も炊き、湯も沸かします。
今朝、主人に「茶飯釜の茶事をすると丿貫(へちかん、織豊時代の茶人と茶道辞典に載っています。)を思い出すね」と言うと「それって丿貫と宗徳(宗得)と混じって覚えてるでしょう」と言われ「へっ?そうかもしれない!」との朝の会話をしていたら、「これ、読んだら」と自分のパソコンから前に何かの折に自分で書いた文を出してくれました。「あら、なかなか分かりやすい文じゃないの〜」と褒めておきました(笑)
丿貫は手取り釜、茶話指月集の中に「山科のほとりに、へちくハん(丿貫)といへる侘ありしが、常に手取の釜一つにて、朝毎 糝(みそうず、味噌水とも味噌雑炊みたいな物らしい)といふ物をしたため食し、終わりて砂にてみがき、清水のながれを汲いれ茶を楽こと久し、一首の狂歌をよみける 手どりめよおのれハ口がさし出たそ 増水(雑炊)たくと人にかたるな」と書かれています。
堺の銭屋宗徳は自在軒一釜斎(自在庵)と号していました。宗徳は宗旦から送られた茶飯釜一つを自在(今回誠之庵も四畳半を使ったので自在を使いました。)に掛け、生涯茶を飲み、飯を炊いて過ごしたそうです。
今使っている茶飯釜と同じ形で、蓋は蛇の目蓋(大きな蓋と内側の小さな蓋)と大きな一文字蓋が付いています。胴に清巌和尚の字といわれる「飢来飯(飢え来たりて飯)」「渇来茶(渇来たりて茶)」と鋳込んであります。こちらの方が茶飯釜の元なのかな?
私の記憶にはこの2つの話がゴッチャになって、宗徳が消えて丿貫だけになっていました。確認する事は大事です。どちらも釜一つで楽しんだ方なのですね。
もう一つ、茶飯釜をすると思い出すものに、利休百首「釜一つあれば茶の湯はなるものを数の道具を持つは愚な」が有ります。茶飯釜の茶事をしていると確かに!と思います。でも、他の道具も要りますよね。この一首の後に「数多くある道具をも押しかくし無きがまねする人も愚な」とも有ります。みんな色んな道具は見せて欲しいし、見せていただくと有り難いですものね。
今回も主人が楽しんで道具組しました。決めている時間は楽しそうですよ。殆ど年に一回しか使わない炭斗の絵、炭斗は抱一が描いています。初座には沢庵和尚が舟に乗って川を旅しています!と言う様な事を書いている軸を、懐石は春満載、木の芽味噌、煮物椀の吸口(すいくち)の木の芽、焼き物鰆に刻んだ木の芽、毎朝庭から摘んできた木の芽(今年は木の芽がたくさん取れて木の芽味噌や吸口だけでは使いきれないので、どうにかならないかなぁ?と考えて佃煮風に煮てみました。それがご飯のお供に香りも味もとっても良かったです。)を使いました。朝、小吸物に使う柳の新芽と木の芽を摘みながら、幸せだなぁ!と感じました。
過酷だけれど幸せな四連ちゃん茶事でした。

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