八十八夜も過ぎ、立夏も過ぎ、もうそろそろ諸々の物が活き活きと満ち満ちてくる小満です、麦秋もそろそろです。
先日梵釈寺や日吉茶園に行って来たと書き、八十八夜も過ぎたなぁ!と考えていたら茶摘の歌を思い出しました。作詞作曲は不明だそうです。
夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘じゃないか あかねだすきに菅の笠
日和続きの今日この頃を 心のどかに摘みつつ歌う 摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ 摘まにゃ日本の茶にならぬ
この日本という所を「田原」とかに変えて歌う歌詞も有って、へぇ〜!と面白く思いました。
宇治の「田原」といえば「青製煎茶製法」を考えだした「永谷宗円」。田原の宗円生家には製茶に使われた焙炉(ほいろ)跡も保存されているそうです。
栄西が持ち込んだ茶は緑色の抹茶でしたが高級品で、江戸時代の初め頃に隠元禅師が煎茶を伝えた「釜炒り製煎茶」はきっと茶色のお茶だったのではないでしょうか。そのお茶をどうにか緑色に出来ないか!と考えた宗円は抹茶と同じように蒸して揉みながら乾燥させるという製法を開発し、禅の精神を実践する為に京都市中で煎茶を売り歩いていた黄檗僧の「(ばいさおう)」が、宗円を訪ね宗円の茶を飲み「美麗清香の極品にして、何ぞ天下に比するものらんや。。。。。」と歓喜したと伝わっているそうですから、売茶翁はこの緑のお茶を売ったのでしょうか?きっとまだ高かったでしょうからやっぱり茶色のお茶だったのかしら?聞いてみたいですね。
平安時代、最澄や永忠が伝えた陸羽の「茶経」にある沸騰した湯に茶葉や茶の粉を入れて煮出す「煎茶法」、茶経には「団茶」も「餅茶」も火であぶり茶研(ちゃげん)と呼ばれる薬研風の臼で粉にして、湯に投じて飲むと書いてありますが梵釈寺で嵯峨天皇が召し上がったお茶もこのお茶だったのでしょうか?
その後、鎌倉時代に栄西が茶の道具と共に伝えた粉末の茶を容器に入れ湯を注いでかきまぜる「点茶法」、今私達が薄茶を点てる方法と同じですね。
江戸時代に隠元禅師が伝えた急須などに茶葉を入れて湯を注ぎ飲む「淹茶法(えんちゃほう)」、現在の煎茶の飲み方ですね。
新茶を頂戴したので美味しく味わいたいと思っています、煎茶道の方達のように上手にはいきませんが。。。。。頑張ります。
そろそろ暑くなって来たので、冷たいお水に煎茶を入れて冷蔵庫に入れ水出し煎茶も、お水に紅茶を入れて水出し紅茶も楽しんでいます。
梅ジュース(今年も昨日誠之庵の梅で作って瓶に詰めました)の水割りも冷蔵庫に入っています、お稽古の時にでも飲みたい方は仰ってくださいね。
宗香