ノーベル平和賞での日本被団協、田中熙巳さんの演説は胸を打つものでした。予定になかった二度の日本政府のあり方の言及は、永年の苦悩を窺わせる強い言葉でした。長崎の原爆直後、学徒動員だったのでしょうか?長崎に入った父は生涯「ひょっとしたら被爆しているかもしれない!」との思いを抱えていたような気がします。多くを語らなかった父ですが、中学生位から反戦の思いを抱え活動し、原爆の悲惨さを目にし、苦しんだであろう父を思い出しました。
私達世代は、原爆投下第一目標だった小倉市(私が育った北九州市です)が、八幡大空襲での視界不良の為、原爆が長崎に落とされた話(母は長崎原爆で亡くなった方達は北九州市民の代わりになってしまった!という思いがあったようです、私も母の思いを受け継いで長崎原爆投下の日には心の中で祈ります。)、八幡に住んでいた母からは八幡大空襲の話(八幡には八幡製鐵所が有り、その生産機能を破壊する為、従業員、その家族を標的に住宅街も空襲されました、母も焼夷弾から逃げる為に走り、逃げる途中友達が弾に当たって倒れたのに助けられなかったという話しを聞いています)、父の原爆投下直後の長崎の話を聞いて育った世代です。この思いを後世に伝えていかなければいけない思いと共に、現在起きている戦争にも心を向けなければいけないと思っています。何にも出来ないのですけれど、、、、、、、、
さて、茶事の話です。
茶事は、一会を催す方も、招かれて伺う方もとても楽しいのです。でも、それはワイワイ無礼講で騒ぎましょう!という楽しさとは違うのでは無いか?亭主がお客様に楽しんでいただく為に楽しみ、苦しみ考え抜いた一会を一緒に楽しむ会で、それにはやはり少々のルールと、思いやりが必要ではないかしら?と思っています。
お客様同士の初めましての挨拶等は待合で済ませておいてくださるとありがたいなぁ!腰掛け待合は、露地の季節や、これから始まる茶事の期待を感じる場所で「久し振りねぇ〜」とかお喋りしていると感じられないものが沢山有りそうです。
亭主側は席入をしていらっしゃるお客様のすり足の音で、今何客入られたね!とか、もうご飯の火を点けても大丈夫かしら?とか、判断しています。躙口の戸が閉まるとすぐに外の蹲(つくばい)にはザーッとお水を足す音がします、それも是非聞いてほしいのです。皆様でお話ししながら席入をなさっていると、亭主側も「今、お席はどうなっているの?」となってしまいますし、せっかく半東さんが工夫して滝のような音を出しているお水の音も聞こえません。
中立は、亭主側は後座の準備、お客様はお手洗いに行ったり後座の期待を感じる大事な時間です、誠之庵はとても狭いのできちんとした露地の広さも取れないので仕方なく家の中の御手洗を使っていただきます。寄付もすぐそこに有るので気持ちも分かるのですが、御手洗を待つ間や、もう少し時間があるでしょう!と寄付でお話ししていると、後座の期待を感じる時間が無くなって少し残念です。腰掛け待合から順番に御手洗に行って、サッと腰掛け待合に戻って、後座は亭主はどういう趣向でもてなして下さるのかしら!と楽しみにするのもお客様の醍醐味です。
後座の席入も初座と一緒で亭主側は襖の向こうでお客様の気配を感じて、そろそろ襖を開けて濃茶を差し上げよう!と判断します。
少しのルールを守って茶事を楽しんでいただけたら嬉しいなぁ!と思っています。
そうそう、お客様は水屋や台所には入って来てはいけないのです。詰には亭主側のお手伝いをしていただく事がありますが、それも水屋には入ってはいけない!という暗黙の約束があり、亭主がいちいち道具等を取りに来ていただかなくても良いように、道具等を茶道口まで運んだりします、ですが襖を開けて水屋に入れてはいけない!と教わりました。
私もお部屋の中の様子を窺っていると、お客様が突然襖を開けられてオッと!と急いで隠れる事があります。若い頃は素早く隠れられたのですが、今はよいしょ!っと立たないといけないので素早く隠れられなくて、お客様と鉢合わせする事があります(笑)とても困るのです(笑)
あまり綺麗な格好でもなく、懐石の準備も有りバタバタしているので、折角お客様に非現実的な雰囲気を楽しんでいただこう!と苦心している亭主側の裏側をお見せしてしまいます。私もお招きいただいた時には、心では、裏方は今一番忙しくしていらっしゃるだろう!有難うございます!と思いながら御土産やお祝い等は寄付の床の間や、分かりやすい場所に置いておくことにしております。
茶事はお互いの思いやりを感じられて素晴らしいですね。
宗香