いよいよ最終日です。
向かう須佐唐津古窯群には大きなバスが行けないので今回もマイクロバスに乗車してホテルを出発しました。
どんどん、どんどん山の中へ。そのうちに集落も無い、人も見られない一本道を走って須佐唐津古窯群に着きました。古窯が何処にあるのか?分からずにGoogleマップを見ながら、こっちじゃない?あっちじゃない?と騒いでおりましたら、散歩?をなさっている男性を発見!聞いてみましたら「あぁ!あの桜の木の下ですよ」と教えてくださいました。
須佐唐津は大陸から陶工が須佐に渡来し窯を築き、文禄年間(1592年)に九州唐津から陶工(土谷家)が来て陶業を始め、この地を須佐唐津と称し、慶長5年(1600年)以降毛利藩益田領主の保護を受け御用窯となった。その後、毛利のお殿様と一緒に萩に備前牛窓村から移ってきた伊藤家、散歩していた男性がその伊藤家の14代?あれっ?16代?の伊藤さんでした。代々三左衛門?と名乗っていたのだとか。伊藤家が須佐唐津に移った時には、既に煙が上がっていた!という文献があり、摺鉢を主に作って益田家が買って毛利に売って毛利藩は北前船で北海道に出していたんです!と仰っていました。そういえば、窯跡には摺鉢の陶片が沢山落ちていました。
お約束もしていないのに伊藤家の御当主にお会いできて、お話しを伺えたのはラッキーでした。
須佐はスサノオノミコトの伝説に由来するとの事で、スサノオノミコトのイラストがあちこちに有り、イカが有名で、尊イカとか須佐のイカと呼ばれるそうです。食べてみたかった!
2024/04/20