お知らせ・コラム

美術ツアー4日目 午後

午後は津和野に行きました。
日本五大稲荷の一つ、津和野城の城山の一角で時刻を知らせる太鼓が鳴り響いた谷間なので太皷谷と地名が付けられ、津和野城の鬼門に位置し神聖な地に有る太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)。「いなり」は「稲荷」と書くのが普通ですが、願い事が成りますように!願望成就しますように!と津和野藩主が「稲成」という漢字を当たられたそうです。手水舎にお揚げさんと蝋燭があり、それを頂いてお参りいたしました。赤い鳥居も連なっていました。
午後は津和野の町散策いたしました。今回は時間の関係もあり、乙女峠には行けませんでした。
キリスト教系の学校の学生だった頃、キリシタン弾圧の悲しい歴史の勉強に乙女峠に行きました。
キリスト教が厳禁だった明治元年に長崎から津和野に送られて来た153人のキリシタンは、お寺に収容されて改宗を勧められます、それに応じなかった37人のキリシタンが「三尺牢」という立つこともできない檻に閉じ込められ、氷責め等の拷問によって命を落とします。後に殉教者の遺骨は一つのお墓に埋葬され、「乙女峠マリア聖堂」が建てられたそうです。
本当は再びその地に行って祈って来たかったのですが、時間が無かったので仕方ないですね。
当時説教をしてくださった牧師先生が「いろんな考え方が有るけれど、拷問にも屈せず殉教された人達の生き様も素晴らしい。でも、それに屈して改宗したと見せかけた人達の生き様も素晴らしい!神様は皆が生きる事を望んでいらっしゃる、生きる為に屈する事も、踏み絵を踏む事も意味がある。生きる為だったら踏み絵も踏みなさい」と仰いました。感受性豊かな、傷付きやすい私達女子学生に生きる事が大事なんだ!と強く伝えたい!という想いがお有りになったのだと思います。何十年経ってもその牧師先生の強いお言葉は忘れられません。

雪が多い所なので、耐久性のあるオレンジ色っぽい、鬼瓦や鯱が乗っている、美しい石州瓦の屋根ともお別れをしながら、山口宇部空港に着きました。

羽田空港のお天気が良く無くて到着の飛行機が遅れ、出発も遅れましたが、無事に皆様とご一緒に関東に帰り着きました。
浦上様の御尽力、休日なのにご出勤頂いた後藤先生のお陰で浦上記念館でのお勉強も、その他でのお勉強も、美味しい物も、楽しい思い出も沢山出来た美術ツアーでした。感謝しかありません。
急遽決まった日程に四苦八苦して完璧に準備してくださった、JTBガイアレックの担当者の方、毎回我儘なおじさん、おばさんのお守りをしてくださる添乗員さん、ガイドさん、運転手さん、何より無事に御一緒に楽しんでくださった参加者の皆様に感謝申し上げます。

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