お知らせ・コラム

美術ツアー3日目 午後

本日は穀雨、種まきの頃ですね。暦便覧の春雨降りて百穀を生化すればなり、の様に神奈川ではこれから田植えも始まりますし、うちの蕗もグングン伸びていますし、木の芽も沢山出てきました。
前回、指月公園 まででした。
娘時代に松下村塾に行ったのですが、吉田松陰がどんな方だったのか、明治維新を成し遂げる人材を多数輩出した!位は知っていましたが、そのほかの事は無知の為、ただの小さな家!としか思えなかった松下村塾、今回も行かなくても良いんじゃないの?と思っていたのですが、添乗員さんの「ガイドさんの説明を聞きながら行ってみてください、絶対に行った方がいいですよ」の言葉で、じゃぁ行ってみようか!と松陰神社へ
行って良かった!松下村塾の歴史は調べれば色々と出てくるので書きませんが、此処でみんなを集めて講義をなさったんだ!此処に幽閉されていらっしゃったんだ!いくら昔は大人びていて、天才の様な方とはいえ、まだ29歳の若者がどんな思いで過ごしていらっしゃったのだろう?と想いを馳せながら見学してまいりました。
萩の方達、小さな子供達も、吉田松陰!なんて呼び捨てにはなさいません。松陰先生!と呼ばれていらっしゃいます。松陰神社にお参りに来ていた幼稚園年長さんかしら?と思われる男の子が何の躊躇いもなく「松陰先生が。。」と言っているのを聞いて、尊敬されているんだなぁ!と感じました。
その後、萩明倫学舎の見学と昼食を。明治日本の産業革命遺産は鎖国をしていた江戸時代の日本から急激に発展していった歴史をまざまざと感じ、日本人の勤勉さに改めて感心しました。
反射炉の操業に成功していた佐賀藩に鋳造技術を教えてもらう為に萩藩は藩士を派遣しますが、教えてもらえずにスケッチのみを許されます。このスケッチを元に建設された萩反射炉、何メートルか足りずに試験炉に終わってしまったとの話しを聞き、残念だったなぁ!と思いながら反射炉を後にして、岡田窯へ。お父様の岡田裕氏はご不在でしたが、息子さんの泰氏に萩焼の登り窯や、大道土(だいどうつち)、見島土(みしまつち、萩の離島見島の土)、金峯土(みたけつち)等の土の配合等のお話しを伺いました。美味しい御抹茶や萩名物夏蜜柑の丸漬けも頂いて、お父様、泰氏の御作品も頂戴して楽しい時間を過ごさせて頂きました。有り難うございました。
萩の町を歩いていて不思議だったのですが、明治になって政府の「王政復古」「祭政一致」の実現、神道国教化の為に神仏分離令が出て、無理矢理神社とお寺を分離独立させて、廃仏毀釈運動が起こり残念な結果になっている事が多い中、萩の町はそれがあまり感じられない事でした。明治政府の要人が沢山出ている事と関係があるのかしら?と疑問を持ちながらの萩散策でした。
萩の海を見ながら宿泊場所の「雁島別荘」へ、「雁島別荘」は本当はお休みだったのに、旅行社がお願いして開けていただいたので貸切でした。本当に迷惑な客で申し訳ありませんでした。
日本海側の海の色は子供の頃から見て育ったはずなのですが、子供の頃はあまり関心も無く覚えてもいないのですが、今回あぁ!太平洋側と色が違う!と新鮮な思いでした。いつも、今日は何青磁の色だろう?と楽しみにしながら見る平塚、大磯、小田原の海の色は青磁の色に似ています。今回の日本海側の海の色は、深い深い瑠璃釉の様な色でした。きっと日によって、紺だったり紫だったり青っぽかったりと綺麗な瑠璃色になるのかしら?
旅は新たな発見や楽しみがあります。

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