今年は誠之庵の梅の実がたわわに実っています。初めて見る光景です。葉も出て来始めています。何を作ろうかなぁ?楽しみです。
さぁ!3日目です。
萩は夏みかんも有名ですが、地名に椿の字が付くほど椿も有名です。椿の原生林、笠山に向かう為にはバスが使えないとの事で、ジャンボタクシー2台でホテルを出発しました。
明神池を通り笠山へ。笠山は噴火により本土と陸続きになったそうで、その時に埋め残された明神池は溶岩の隙間などを通じて海と繋がっていて、海水なので海の魚、マダイ、クロダイ、メバル等が生息しているそうです。
椿群生林は、椿祭りも終わって殆ど咲いていませんよ!と言われましたが、まだまだ綺麗に咲いていて、落ちたお花が道を敷き詰めていて綺麗でした。
笠山は藩政時代には萩城の北東、鬼門に当たる為に樹木の伐採、鳥獣の捕獲が禁止されていて大木に覆われていたそうですが、明治になり用材や薪、炭用に伐採され昔日の面影も無くなっていきましたが、昭和40年以降萩市の努力により再生されたそうです。いやいや、見事でした。
茶花の為にうちに植えている椿は、手が届きやすいように下の方に枝を残していますが、笠山の椿は大きな木で、下の方には枝が有りません、なので木の幹がよく見えます。椿の木肌なんてちゃんと見た事も無く、関心もなかったのですが、その木肌は百日紅の木肌のように滑らかな白い綺麗な肌でした。私もこんな肌だったらよかったのに!と思う様な(笑)家に帰って家の椿の幹をまじまじと見てみましたら、確かに綺麗な幹でした。展望台に登って椿の大木を上から小鳥目線で見る事もできて、海や島も素晴らしく、椿まつりも終わってるしあんまり咲いていないから行っても仕方なく無いですか?の意見を無視して行ったのですが、来て良かった!と思いました。
国指定天然記念物の笠山コウライタチバナ(萩市と韓国の済州島にのみ自生している)も有ると書いてありましたので行ってみましたが、主人が、これかなぁ?と言っておりました。結局よく分からなかったらしいです。紫宸殿に有る「左近の桜、右近の橘」の橘(自生種よりもやや実が大きいそうです)、徳禅寺にも橘があって、和尚様がお寺の橘でジャムを作って送ってくださいます、和尚様の苗字も橘、縁のある橘です。
紫宸殿に植えられている由来は、古事記、日本書紀に、垂仁天皇(すいにんてんのう)が菓祖、柑橘の祖神として有名な田道間守(たじまもり)を常世の国に遣わし持ち帰らせたという不老不死の霊薬「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)、非時香木実(ときじくのかのきのみ)」の事を、「是今橘也」と書いてある所からきているそうです。奈良時代の小説等を読んでいるといろいろな所に名前が出てくる「県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ)」は別名「橘三千代」とも言い、元明天皇(女帝)から右近の橘の橘(花なの?実なの?)を下賜されて橘氏が生まれたとか。。。橘は日本にとって重要な植物なのですね。
春の嵐で風がビュービュー吹いている中、萩城址へ。石垣や庭園、ミドリヨシノを眺めながら歩いていると、普段は閉まっていて外観しか見られない「花江茶亭」の障子が開いていて、ラッキー!と近づいてみましたら、茶会の準備中でした。お若い方が忙しそうに動いていらっしゃって、お道具も出してありました。ちょっと拝見!と茶室に首を突っ込んで拝見していたら「会員に萩焼きの作家が多いので、萩焼の物が多いんです」とご説明くださって、見せてくださいました。「お流派は?」「裏千家です」「あら〜!私達も裏千家を習ってるんですよ」ご準備していらっしゃる方の年齢や趣向を見てそうかなぁ?と感じたので「青年部さんですか?」と聞いてみましたら「そうです、萩の青年部です。週末のお茶会に向けて準備してるんです」とお返事をいただいて、午後から伺わせて頂く「岡田窯」の岡田泰氏が青年部の部長をしていらっしゃる!と聞いていたのを思い出し「青年部に岡田さんっていらっしゃいます?」と聞きましたら、横に座っていらっしゃった方が「はい!私です(笑)」と。。。午後に伺わせて頂く小澤です!とご挨拶しましたら「そうじゃないかなぁ?と思っていました(笑)お待ちしております」と、なんという偶然でしょう。こういう偶然は楽しいです。
長くて漢字が多いと読み疲れる!と娘達が言うので、この後は後日書きます(笑)どの位が適当なのか?もはや分からなくなってきています(笑)
宗香