お知らせ・コラム

美術ツアー2日目午後

今月の淡交タイムスで、御家元が百足のお話をしてくださっていました。

毘沙門天のお使いで縁起が良いものだそうです。あの沢山の足を揃えて歩いていかなければいけないのですから、心を揃えないと歩いて行けない。皆が心を一つにして対処するように!という毘沙門天の教え!との事。

大宗匠は、先の大戦から忸怩たる思いで過ごした事、自分自身の中に和らぎの心を持ち、差別も区別も無く、互い立場を尊重し合う為に、「1盌からピースフルネスを」と世界を回ってこられた事、新島襄先生の「良心の全身に充満したる丈夫(ますらお)の起り来らん事を」の理念、良心(自制の心)の大事さ!1世紀も経つのにまだ残酷な戦いをしている事へのお気持ち。

考えさせられる世の中です。考えて祈るだけでは駄目なのは分かっているのですが‥‥どうすれば良いのでしょう?

2日目午後

唐津焼発祥の地!と言われる「岸岳古窯跡」へ!

文禄・慶長の役より以前、波多氏(上松浦党の盟主)の庇護のもと朝鮮陶工が築いた日本最古の登窯という評価を受けているようです。主に藁灰釉の物を焼成されていたとの事。

何となく、九州の焼物は文禄・慶長の役からかしらねぇ?と思っていた私は、その前にこんな場所で庇護を受けながら朝鮮半島の陶工が、日本の土や場所、燃料等、苦心しながら、研究しながら焼いていたんだなぁ!とその頃に思いを馳せながら辺りを見回しました。

その後、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して出兵拠点として築かれた名護屋城(元々は松浦党の旗頭、波多氏の一族、名護屋氏の居城であったとか)へ

実際に行ってみると、ただの思い付きで朝鮮出兵をしよう!と思ったのではなくて、練りに練って、準備万端で出兵していったのだ!と感じられました。

五重天守、御殿、立派な石垣、周囲には130以上にも上る諸大名の陣屋、名護屋城に至る道筋には兵站(へいたん)となる城も有ったと‥‥

本気の本気だったのですね💦

いよいよ隆太窯へ、すぐ前のバス停は「隆太窯」

中里隆氏、太亀氏、健太氏、三代の窯です。

三代の蹴轆轤が並ぶ仕事場、太亀氏の奥様が「此処で3人が並んで仕事をしている姿を見るのが好き」という風に仰っていました、いろんな葛藤はお有りだっただろうけれど、本当にとても微笑ましい姿なんだろう!と納得しました。隆氏は東京にお出掛けでしたが、太亀氏、健太氏、お二人で色々な形の品を作ってくださって、説明してくださいました。登窯も見せていただきました。

川瀬先生の専門家ならではの質問は、聞いていて勉強になりました。川瀬先生曰く、「同業者は嫌がられて当然なのに、丁寧に説明してくださって有り難かった」との事!確かにねぇ!

またまた、嵐の様に騒がしく訪れて去っていく私達を、丁寧に対応してくださって、有難うございました。奥様も楽しい方で快く接してくださって、楽しかった〜!

夕食は、銀座でお料理屋さんをなさっていて、銀座のお店を閉じて、奥様が唐津で陶芸をする為一緒に唐津へ行かれてしまっていた、普段は料理教室だけで殆どお客を取らない料理屋さんへ!中澤先生も川瀬先生も主人も銀座のお店に伺っていて、久し振りの再会でした。主人は、勿論忍先生とも伺いましたが、忍先生の弟さん竹志さん(もう亡くなって10何年、主人の親友、兄、なかなか追い付けない師でもありました)とも伺った事があるらしく、ご主人と竹志さんの話をしながら二人で涙ぐんでいました。貴重な有難い再会でした。お料理も美味しかった!お酒も美味しかった!もう途中から、「徳利だと大変なので、一升瓶を持って行って徳利に入れてくださいな」とお席に一升瓶が‥‥何本空いたのかな?

ホテルへ帰る為にはタクシーを!と思っていましたが、多分タクシーはそんなに何台も来ないのじゃないか?と添乗員さんが‥楽しく食べて呑んでいる私達を待って、大型バスが何時間(5時間?6時間?)も近くの駐車場に待機してくれました。そんなに待ってくださったのに運転手さんも、添乗員さんも、私の「お食事召し上がった?」の問いに「お弁当を買って来て食べましたから大丈夫ですよ」と嫌な顔一つせずに待っていて下さって、神様の様でした。バスの運転手さんもニコニコと温和な方で、安全運転で、添乗員さんも良い方で、このお二人だったから楽しい旅になったのですね。

 

 

 

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