お知らせ・コラム

美術ツアー報告

今日は孫2号の中学入学式、祖父母の参加はできないですし、東京での仕事の関係で初登校も見に行けません。制服購入の時に「男の子はすぐに大きくなりますから、大きな物を買われた方が良いですよ」と言われたようで、ブカブカなんだそうです。ブカブカの制服姿、見たかったなぁ!桜満開の入学式とはいかなかったけれど、葉桜も綺麗でこれからの中学生活を応援してくれているかのようです。

先月28日から「誠之会美術ツアー瀬戸•美濃」に行って来ました。
どこに行っても、満開の桜と三葉躑躅、ムスカリ、ショウジョウバカマ、花桃、アズマイチゲ、鶯の声に歓迎されてお天気も良く楽しいツアーでした。

東京駅組、品川駅組、小田原駅組、浜松駅、安城三河と新幹線の車内で皆様と合流、楽しみな四日間です。今年もまた会社も認めるスーパー添乗員さん、井上さんに付いて来てもらっているので安心です。
安城三河では名鉄の大型バスがお迎え、今年も1人2席とってもまだ空席があるほどのゆったりバスです。イケメンのお若い運転手さん、娘達と同じ年代位の可愛らしいガイドさん四日間よろしくね。
昼食は「煮込みうどん山本屋本店」、男性トイレの戸の中に暖簾が掛かっていた!普通は外に掛かってるよね?何か地方独特な事?と小さな事が気になる忍先生の質問に、ガイドさんが驚き、ビックリの行動に出ました。お昼で忙しいお店に電話して「暖簾、何か特別な意味があります?」「別に何もありません!掛けやすいところが中だった!というだけです」との返事!当たり前よね!と思う私!ガイドさんも大変だけど、忙しい時間にそんな質問されて答えなきゃいけないお店の人も大変!
東海環状線を通って国指定史跡「小長曽陶器窯跡」へ
殆ど人が行かないんじゃないかしら?と思われるほど山の中、付近には何も無い。怖くて1人じゃ来れない。
この古瀬戸窯は室町時代の全長6.7メートル、最大幅3メートル、通煙口を分けている柱を見て「あれっ?見た事がある物だなぁ」陶器を焼く時に灰などが被らないように作品を入れておく匣(さや)を積み重ねてありました。川瀬先生が「窯の中の柱によく使ってあるよ、焼けている物だから火に強い」と教えてくださいました。
灰原(はいばら、窯を焼いた後の灰や失敗品を捨てた場所)には灰釉(かいゆう)の「四耳壺」「瓶子」「水注」「仏花器」「皿」「天目釉薬」が発掘されているようです。
近くには川が流れ、鬱蒼と木が生えていて、陶器に必要な土がある。この風景は中国の古い窯跡とよく似ています。川には白い土が沈澱していて、自然水簸(すいひ、土を水でかき混ぜて沈澱させて余分な物を取り除ききめ細かい土にする)されています。此処に来る途中のバスの中から見ていると関東と違って土が白い、地方全体が白い土で耐火度が高く白いのでやきものには良い土だそうです。関東は関東ローム層で、鉄分が多く耐火度が低いそうです。
窯の上には「陶祖碑」が、陶祖、今回瀬戸美濃を巡って、陶祖と呼ばれる人がその地その地にいらっしゃる事を勉強しました。小長曽陶器窯跡の陶祖はどなただったのでしょう?この碑の文字を書かれた方は「東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)」江戸末期から明治にかけての公家、政治家、茶人(益田鈍翁等の茶事グループ和敬会の会員)であった方で、初代の神奈川府知事をなさった方です。こんな所で神奈川県とゆかりの方の字を見るなんて、なんて偶然なのでしょう!
その後愛知県陶磁美術館へ
学芸員の方の詳しい丁寧な解説を聞きました。日本、中国、アジア、全世界のやきものを所蔵しているとの事、猿投窯、瀬戸、美濃、の作品を沢山拝見しました。(沢山見すぎると脳内で勝手にすご〜いいっぱい!楽しかった〜!になって、1つ1つのことを忘れてしまいます。今度資料を見てもう一度書きますね)古窯館では敷地内で発見された平安時代〜鎌倉時代の古窯も残っています。この古窯館を見て、随分前に主人と車でお邪魔した事を思い出しました。又主人から「覚えてなかったの?どうしてすぐに忘れるんだろうね?」と言われるところでした。
日本庭園 有楽苑へ
こちらも有楽苑の方が案内してくださいました。桜が綺麗でした。
有楽苑には国宝の茶室「如庵」(あとは、利休好み山崎の待庵、大徳寺竜光院の密庵席、空襲により焼失したため今は無いのですが、猿面の席というのも有りました)が有ります。如庵は2畳半台目、向切、有楽窓と呼ばれる窓がある明るい茶室です。
有楽(信長の弟、東京の有楽町は有楽の御屋敷が有ったからだそうです)が建仁寺の塔頭正伝院内に作った茶室で、明治41年に東京三井本邸に移築されます。移築に当たって、茶室を解体せずに京都から車両で運んだのですが、どうしても通れない所が二ヶ所、家を退かせたのだとか!昔の財閥は凄い!ビックリです。
東京から大磯の北三井家別邸「城山荘」に移されその後今の犬山に移されました。
一説によれば、織田有楽斎のクリスチャンネーム「Joan」または「johan」から付けられたとも‥‥本当かしら?
ホテルに入り、夕食へ
勿論二次会も‥‥遅くまで持ち寄ったお酒を片手に、中国陶磁も含めた陶磁器の話、城山荘に如庵があった頃のお話(川瀬先生が子供の頃までは大磯に有ったそうです、流石に如庵の中では遊んでいないけど、外では遊んでいらしたそうですよ)、書いてはいけない話し(笑)、いろんな話が飛び出して有意義でした。
姉御(会員さんです会の皆が認める姉御です(笑))の「さぁ!明日もあるからこの辺でお開きです!寝ましょう!」の一声で、明日も楽しみましょう!とそれぞれお部屋に!
会社から「普通のツアーではないらしいから、聞かれた事以外喋るな!」と言われて普通と違うし、どこまでどうしたら良いのか?初めて喋るな!なんて事言われたし!とオドオド乗車してくれた名鉄のガイドさん、可愛くて、明るくて、物知りで、1日ですっかりおじ様、おば様方の人気者になりました。良かった良かった!

一覧に戻る

pegetop