名古屋からの帰り道、沼津の松䕃寺に白隠禅師のお墓参りにいってまいりました。
白隠禅師の大叔父が慶安年間に復興され、白隠禅師が享保2年(1717年)から五代目住職を務められたお寺で、84歳(1768年)で入寂され松䕃寺にお墓があります。
松䕃寺のご住職がインタビューに答えられた物によると、白隠禅師は駿河国原宿(現在の沼津市原)で誕生され、11歳の頃に地獄の説法を聞き、虫などの小さな命を殺生した懺悔の気持ちから坐禅をして過ごし、15歳で出家し「慧鶴(えかく)」の名前を授けられ、24歳の時に悟りを開いたと自負しますが、道鏡慧端にその慢心をくじかれ修行を続け、33歳の時に「松䕃寺」の住職となり白隠慧鶴(はくいんえかく)を名乗り、42歳の時に大悟徹底(だいごてってい、欲望や迷いなどの煩悩を全て捨てて悟りを得る事)し、慈悲心により衆生済度(しゅじょうさいど、生きている全てのものを迷いから救い出し、悟りの境地に導くこと)を決心し禅の教えを民衆に広められたそうです。
白隠禅師といえば禅画ですよね、これもご住職のインタビューによれば、民衆に禅の教えを伝えるため、生涯に1万点を超える書画を書かれたと、沢山の修行僧を受け入れていた松䕃寺なので周辺の人達が食べ物などを寄付してくれ、そのお礼に書画を送っていたのだそう、白隠禅師の墨蹟は白隠禅師の「命」を書き残したもの!とのご住職の御言葉は重いものでした。
そういう白隠禅師ですから、私共も親しみを込めて「白隠さん」と呼べるのかもしれませんね。
お墓にお参りできた事はありがたい事でした。
折角の沼津ですから、お魚を食べて帰って参りました。
有意義な二日間でした。
宗香