お知らせ・コラム

娘のInstagramに畳替えの写真をアップしています。

一昨日、京都のもとやま畳店の本山さんがいらしてくださって四十枚程の畳を上げて持って帰ってくださいました。

今誠之庵の畳は京都にお出かけしています。土曜日には日本産の藺草(いぐさ、本山さんのご厚意で熊本産を使う事ができました、有難うございます)の新しく青々として良い香りのする畳が戻ってきます。清々しくて、家中が良い香りに包まれるだろう!と、とても楽しみです。茶道の畳を沢山手がけていらっしゃるので、この畳はこちら側の畳の目を揃えてください、この畳はこちらを!なんて言わなくても良いので、何も言わずとも安心してお願いできて有難いです。

元々日本のお部屋は畳が敷いてあったわけではなくて、筵(むしろ)、茣蓙(ござ)、菰(こも、真菰を粗く編んだ筵、真菰刈るは大野川原の様に川の川原の枕詞にも使われますね。菰かぶりとも使われて、酒樽にかぶせた菰の事ですが、違う意味もあって、菰を被っていたので使われていたのだろうと思いますが、今は使ってはいけないだろう!と思う違う意味も‥‥祖母が時々使っていましたが今は使ってはいけませんね!)を必要に応じて敷いていたのだそうです。

必要のない時にはそれを畳んで置いていたので、たたむから畳という様になったとか、平安時代には貴人様等がお座りになるときに厚みの有る物が使われる様になったとか、そういえば映画等で偉い人やお姫様なんかが座ってらっしゃいますし、お雛様も使ってらっしゃいますよね。平安時代にはに畳の大きさや縁の色も柄も階級によって違うと「延喜式(えんぎしき)」に有り、身分を表す役目もしていたとか。

東大寺には聖武天皇が御使いになられた御床畳という、台の上に筵のような物を5、6枚敷いて使用された物があるそうです。ベッドみたいな物かなぁ?

そういえば今年に入って日本最古の畳が見つかった!と報道があったな?へ〜!と思った時にちゃんと調べて覚えておけばよかった!と後悔しましたが、調べました。

茶道とは縁の深い大徳寺の方丈に敷き詰められていた畳、畳の裏に「寛永十三年 結夏日」の墨書がある事が分かった!と。

結夏日(けつげ、安居の終わりを解夏、げげ)は僧侶の夏の修行「夏安居(げあんご)」の初日の事、400年近く前の1636年四月十五日となり、年号が分かっている畳としては日本最古と見られているそうです。畳床ってそんなに長くもつの?とビックリしました。

藺草の茎の髄は灯芯に使われます。灯芯は茶道では夜咄の時の短檠(たんけい)や露地行灯(ろじあんどん)、行灯、灯籠、等に使われます。其々に灯芯の本数が決まっていたりします。

畳も藺草もに日本には欠かせない物です。近頃は畳が無いお家が増えているとか、そうすると床の間も無い、確かに娘の家にも畳の部屋はありません(畳は実家に沢山あるし、日本間も床の間も実家に有るから良いよね!と)、畳の文化は日本独特ですから、この文化を大事にしていきたいですね。

畳を外したらこうなっているのよ!と孫達にも見せておこう!と思っています。大事な事ですね。

子供の頃は大掃除の時に畳を上げて床板を外して日光に干して、床下を掃いていました。今は床板を張り付けてあるのでそういう光景を見る事は無くなりました。母が、何でも自分で経験して覚えていきなさい!という人でしたのでやっていましたが、大変で大嫌いでした(笑)今は良い思い出です。

 

一覧に戻る

pegetop