早いものでもう名残り、現代では感じにくいですが茶壺のお茶が残り少なくなって名残惜しくなるから!と云われています。
山々は紅葉で華やかになって来ていますが、気分は物悲しい季節です。
茶道でもこの時期にはいろんな趣向が考えられて楽しい時期でもあります。
紅葉の華やかさの趣向も素敵でしょうし、源氏物語で源氏との恋に疲れた六条御息所が斎宮に選ばれ禊に向かう娘と共に行った野宮の寂しさや、月や尾花(すすき)の意匠で有名な武蔵野のちょっと寂しい秋の風景も、この時期に喜ばれる虫喰いの葉っぱや返り咲いたお花も、欠けた陶器をつないでいるものも、数が揃わなくなった向付けを寄せて使うのも、お香もいろんなお香を寄せて使ったり切り屑を白檀にくっつけて使ったり、趣向に事欠かない時期ですね。
すすき、というと寂しいイメージでしたが、箱根仙石原のすすき草原の銀色の穂、色づいてきた金色の穂が揺れる美しさはなんとも素晴らしくて、うっとりします。
この冬に向かう時期にこういう風に物悲しい気分?になる事は日本人特有な気分なのでしょうか?昔の中国の詩人などもこういう気分を味わったのでしょうか?優雅に物悲しい気分に浸るのも楽しいです。
優雅な気分ではなくて、本当に気分が落ち込んだ時、母(体が弱くて人生の大半病気に苦しんだ人でした)がよくケ・セラ・セラ「ケ・セラ・セラ なるようになる〜 先のこと〜など〜わから〜ない〜」坂本九さんの明日があるさ「あし〜たがある あし〜たがある あし〜たがあぁるぅさ〜」と歌っていて(その一節だけ歌っていましたね)、その影響で私も何かあると心の中でその歌(一節だけ)を歌っています。心の中でこの歌が歌えない時は相当落ち込んでいるぞ!と自分に言い聞かせて、この歌が歌えるようになるまで心の休養をとります(休養を取る事ができるようになったのは年齢を重ねてからかなぁ!若い頃は思いっきり落ち込んだままでしたが(笑))。好きなものをみたり、好きな曲を聴いたり、好きな本を読んだり、1人の時間を多めに取ったりします。そのうちにこの2曲が心の中で聞こえてきます。この能天気な性格はきっと母からの贈り物ですね(笑)