明日は大雪、閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)、熊蟄穴(くまあなにこもる)、鱖魚群(さけのうおむらがる)の季節になります。鱖魚(けつぎょ、けいぎょ)は中国のスズキ科のお魚ですが、日本では鱖魚がいないので季節に合ったサケと読ませているようです。
鱖魚(けつぎょ、けいぎょ)は中国でよく食べる魚です。中国ではいつも、その地方その地方で1番有名なレストランや1番美味しいと評判のレストランに行きます。地方独特なお料理も堪能してきています。高級レストランに行くと出てくるのがこの鱖魚、唐揚げになったり、蒸し焼きになったり、美味しいお魚です。口の下顎?が突き出ていて肉食のお魚で、よ〜〜く中国陶磁器に描かれています。美術館などに行って中国陶磁器のお魚の文様を見てみてください、いっぱい描かれていますよ。下顎が出た絵なので分かりやすいと思います。
11月の下旬から先週末まで怒涛の十日間でした。普段のお稽古に加えて口切りの茶事を2日、淡交社開催の瑞泉寺茶会3日、夜咄の茶事、スタッフ(妹分や娘達)含めてよく倒れないで頑張りました。
お庭中に万両、水仙、冬桜、椿、菊、キダチダリアが咲く瑞泉寺様での茶会は楽しい茶会でした。存じ上げているお客様も今まで存じ上げなかったお客様も大勢いらして下さって皆様楽しんでいただけましたようで幸せでした。
瑞泉寺様には主人の師匠が眠っていらっしゃいます。前日の準備に伺った時にまずお墓にお参りして無事に終われますようにお守りください!とご挨拶をしてきました。きっと見守って下さったのでしょう、三日間とも重い曇り空にも関わらず、お客様がいらっしゃる間は小雨も降らずお客様にご迷惑をお掛けすることもありませんでした。空に向かって、お墓に向かって、御見守り有難うございます🙇♀️と頭を下げました。
瑞泉寺様は臨済宗円覚寺派のお寺様です。掛け物は何が良いか?と考えた末(主人が!です。どんな茶会や茶事でも間際まで知らされない私はいつもと同じように前日あたりにこの趣向にするから!とお達しがありました、いつもギリギリまで考えているようです)白隠慧鶴禅師(はくいんえかくぜんじ、江戸中期の臨済宗中興の祖と云われる禅僧です。白隠禅師坐禅和讃は各派お唱えになるそうです。私達も坐禅の時間にいつも唱えました)の「孝、暑き忠、親に孝する人おらば、蓑笠もやろう、槌も袋も」の御軸を掛けました。主人にとって師匠は茶道における父のような存在でしたから偲ぶ気持ちだったのでしょうか?お客様に冗談半分で「親孝行は親が生きているうちにしないといけませんね、もうされる側でしょうか(笑)」と言っていましたから師匠に充分孝行しただろうか?と問おていたのかもしれません。
花は家の庭に朝ようやく膨らんだ一休椿、これまた冗談で「孫の水彩絵の具で色付けしてきました(笑)」と言うほど見事に色付いた紅花万作
磁州窯 黒釉笹耳花入
祥瑞 褶扇(ひだおおぎ)香合
の床の間荘に瀬戸茶入、李氏朝鮮の片口、御本茶碗、古萩、楽茶碗、与次郎、秀次、を使って、これも師匠に、育ててもらった師匠には到底及ばないけれども、ようやくこの程度まで出来る様になりました。との報告のつもりだったのかも知れません(私の勝手な思いですが…)。少しは親孝行できたでしょうか?
お菓子は豊島屋さん(鎌倉ですからね)の「矢口餅」、今年の大河ドラマにもそのシーンが有ったような気がしますが、頼朝の嫡男頼家が初めて狩に出て鹿を射止めた事をこの矢口餅で祝ったのだそうです。それに倣い武家では矢口餅を食べるようになったとか、それぞれの家で食べ方も決まっていたようです。
瑞泉寺の御住職様の貴重なお話も頂戴して有り難くなりました。
主人が若かりし頃、師匠の名代で盆暮れのご挨拶に瑞泉寺様に伺うと、お庭の梅で作られた梅酒を頂戴してきていました。茶会の帰りにはその懐かしい梅酒まで頂戴して、産まれて1ヶ月という副住職様のお子様にも会えて(コロナの時代でなければ思う存分抱っこさせていただけたのでしょうが、赤ちゃんを見るとすぐに抱っこさせて!とか、顔を近づけて赤ちゃんの匂いだ〜!とかほっぺや手を触って喜ぶ私を牽制して、この時代赤ちゃんの手を触る事も駄目よ!とコロナが始まった当初からの娘の言いつけ通り触らずに少し距離を置いてあやしてきました)元気をもらって帰ってきました。
茶会にいらして下さった皆様、お世話になりました皆様、有難うございました。