敬老の日にまめな男子から、海岸に行って見つけてきてくれた綺麗な沢山の貝殻で作ったランプシェードを貰いました。部屋の電気を消し、ランプを点けました。とっても綺麗でした。二人のおじいちゃま、おばあちゃま、ちいばぁば、四人の事を考えながら頑張って貝殻を拾い、頑張って作ってくれた優しい気持ちに感激し、感謝でした。
一人の時間を満喫したい孫1号が、「久し振りに泊まっていくわ〜!」と一緒に寝てくれたのもひょっとして、おじいちゃまおばあちゃま孝行だったのかな?
優しい孫達に感謝感謝!
昨日は雲の合間に金色の大きな満月が見えました。中秋の名月と満月が重なるのは8年ぶりだとか‥‥でもこれから3年は満月の明月のようですね。
暗い空に黒い雲を纏った金色の月は、何とも怪しげで鵺(ぬえ)でも出てきそうだけれど、魅了されてしまうような素晴らしさで、黄金に大きく輝いて目を奪われてしまいました。
黒い雲を纏った月の姿と、真っ白な雲を纏った月の姿はこうも印象が違うのか!と驚愕しました。
村田珠光の「月も雲間のなきは嫌にて候」という言葉も思い出しました。不完全や不足の美を愛でるというのは、日本の独特な感情でしょうか。
わび茶の目標として、村田珠光のこの言葉や、武野紹鴎の「連歌は枯れかじけて寒かれと云ふ、茶の湯の果てもその如く成りたき」という言葉もあり、雲間の月!や、枯れかじけて寒かれ!なんていう美意識はなかなか理解してもらえないかも知れませんね。
昨日の床の間には
一ヶ所は「明月清風共一家(めいげつせいふうはともにいっか)」を、もう一ヶ所は「標月不忘指(つきをしめしてゆびをわすれず)と布袋様」の画賛を掛けました。
「青山緑水水元依旧(せいざんりょくすいはもとふるきにより)、明月清風共一家」
禅語の説明等には、「青山と緑水は元通りで変わりなく、明月と清風も昔通り連れ立っている、変わりがない」という事ですよ!と書いてあります。変わりなく無事でありたいですね。
「指月布袋」は仙厓さんも描いていらっしゃいます。うちの淡川康一先生の画賛も仙厓さんの画賛の様に、可愛い布袋様が月を指さしているほのぼのとした絵です。月は悟りの事で、指は経典、指ばかりにとらわれていると月は見えてきませんよ!と教えてくれている!と説明してくださっています。
「指月の譬え」という教えもあるようですが、色々読んでいると、指(言葉)にとらわれないで月(真理?悟り?内容?)をしっかり見つめなさいよ!とお教えくださっているように感じました。
ついつい指し示された指ばかり見てしまいますよね。月が見えるようになるのはいつのことでしょう?生きている間に月は見えるのでしょうか?