金曜日、孫の送り迎えが終わって海岸を車で走っておりましたら、海にそれはそれは大きな居待月が浮かんでいました。月の兎が海の波間をかけている様でした。
とても大きくて最初は月だと思えない、何事かが起こったのかしら?何か爆発してる?と思うほどでした。一生でもなかなか見られないかもしれません。現代人の私が「どうしちゃったの?」と思うほどですから、大昔の人間は何か呪術的なものを感じたとしても不思議ではないなぁ!と思いながら見ていました。
十五夜、十六夜(いざよい)、十七夜(立待月)、十八夜(居待月)、十九夜(寝待月)、二十夜(更待月)日本人は素敵な命名をしますね。
この頃のお月様を見ていると少し物悲しい唱歌「十五夜お月さん」をついつい口ずさみます。作詞家野口雨情の詩はどれも少し物悲しいですね。
月といえば兎、兎と亀の文様の古帛紗を見ました、主人が「兎と亀がいるけど、なんだろう?」と、お稽古場のみんな、「え〜?古帛紗に兎と亀?嘘でしょ」と思ったのですが、よ〜く見てみると確かに、壺のようなものと兎、甲羅に文字が書いてある亀の文様でした。亀の甲羅に文字?卦と関係が有る文様?と文字を見たのですが、何を書いてあるのかよく分かりませんでした。その時には忘れていたのですが、月を見ながら、そういえばあれは何て言う裂地だったのだろう?と思い出してしまいました。
紋様頼みで色々調べておりましたら、中宮寺に伝わる飛鳥時代の刺繍作品国宝「天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう、天寿国曼荼羅ともいわれる)残欠」の文様だと分かりました。
聖徳太子の王妃、橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が聖徳太子の没後、聖徳太子を偲んで聖徳太子が往生した天寿国を図に表し刺繍させた物で、月兎が仏の宝瓶を得て喜んでいる姿と、亀の甲羅に「千時多至」「部間人公」「仏是真玩」「皇前日啓」の銘文を書いた紋様だそうです。
帳(とばり、幕)ですから、元々は縦約2メートル、横4メートルの帳を二枚横に繋いだものだったようです。渡来人である高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)出身の画家が下絵を描き総指揮を椋部秦久麻(くらべのはたのくま)がとって、女房達が刺繍したと伝えられていて、宮殿、宝池、鳳凰、飛雲、人物(女子の服装は高松塚古墳みたいだとか)、蓮弁、兎がいる月、太陽、鐘楼等々、天寿国の様子が描かれていて、亀の甲羅に書かれている400文字の銘文は、聖徳太子一族の系譜、制作の由来、作者について説明しているようですが、残っている文字は少ないとか‥‥もっとちゃんと見ておけばよかった!と思いました。
京都国立博物館の文章を読んでいると、兎は沢山のお話しが有るのですね、大きな桂(日本では木犀だそうです、新婚旅行で行った中国の桂林には金木犀が街中にあって、花が咲いていると街中が良い香りに包まれます、良い香りでした)の下に兎(中国では、兎は月で臼と杵で不老不死の薬を作っているんだそうです)と蟾蜍(ひきがえる、地球の女性が夫が持っていた不老不死の薬を盗んで飲み、月に昇って蟾蜍になってしまったそうです)の文様、日本では兎と秋草、波(琵琶湖に映る月を見て、月の兎が波間をかける様子を想像して)、木賊(とくさ、磨いたように輝く月を想像して)、等、兎が描かれているとそこには月のお話しが有るようです。
兎の紋様を見ると月、桐と竹の紋様を見ると鳳凰(梧桐の木に住み、竹の実を食し、霊泉を飲む)を、お話しを知らないと想像できません、いろんな物を読む事も大事ですね。
宗香