お知らせ・コラム

二祖調心図

トンガの海中火山の噴火による津波は皆様大丈夫でいらっしゃいましたでしょうか?人類が遭遇した事もないようなコロナ、気象庁でさえもよく分からない津波、不気味です。この体験を後世にきちんと残していかなくてはいけないのかも知れません。

初釜の薄茶席には二祖調心図をうつした画と詩の画賛を掛けました。

東京国立博物館に所蔵され重文になっている、石恪(せきかく)(伝)の二祖調心図、をうつされたのでしょう。

石恪は中国五代後蜀(こうしょく)の水墨画家、画家の名人、張南本に師事し、中国の水墨人物画の基本となった。

二祖慧可(にそえか)というよりも、豊干(ぶかん)、布袋などの散聖(さんせい、世俗を捨て仏門に入った人を敬っていう語)を描いたものとも云われる。

という風に東博の説明に書いてあります。

石恪は10世紀の人、東博の二祖調心図は13世紀という事なので、模本?と書いてあるものもあります。

虎の背に腕を預けてゆったりとくつろいでいる禅僧と、虎も心を許してまるで猫の様な穏やかな顔をしている画です。

二祖慧可と伝わっているのでしょうが、豊干禅師の方がしっくりくる様な‥‥

豊干禅師は、寒山、拾得と共に三聖と呼ばれるそうです。

天台山国清寺にいらっしゃって、虎とは仲良しで虎に乗っていたり、という奇行の僧と説明されています。

仲良しになって心が通い合えば、どんなに恐ろしい物でもこの図の様にゆったりと、穏やかにできるのでしょうね。恐ろしい物にはついつい心を閉ざしてしまって、開く事は容易では無いですが、ソーッと、チラッと覗いてみると違う世界が広がるのでしょうか?

竃の前に座って一日中話をしている寒山拾得の話は、誰が聞いても意味が分からず、豊干禅師だけが理解していたとも書かれています。きっとこの話も、豊干禅師は何々?何言ってるの?と聞かれていたのでしょうね。私だったら「どうせ何言ってるか分からないし、分かっても訳分からない事を言ってるんだろうし!まぁ、聞かなくても良いよね!」と思うかもしれませんが、そういう風に思わないで、 分かるか分からないかちょっと聞いてみるのも良いんじゃないかな!と思いなさいよ!と言われているようで身に染みます。

宝生流の謡曲には「豊干」という曲が有るようです。廃曲というようになっていますが、どうなのでしょう?国立国会図書館のデジタルコレクションには謡曲本が有りました。

中国寒山寺の僧が国清寺を訪れると、豊干禅師と寒山拾得の亡霊が現れて、寒山拾得が豊干の弟子になったいわれや、寒山は文殊、拾得は普賢、豊干は彌陀の化現であると語って消える。

という様な物語だそうです。

虎は色々なお話や諺があって面白いですね。

 

 

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