茶花に秋の訪れを感じます。芒に秋海棠、吾亦紅、女郎花、藤袴、色とりどりに籠花入に入っています。虫の声も聞こえてきました。外は暑いですが秋の気配を感じています。
昨日は最澄(さいちょう、伝教大師、比叡山延暦寺を開かれる)のお話しでしたので、今日は空海(弘法大師、高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)を開かれる)かな?と思って。
毎月、「月刊高野山」という冊子を送っていただいています。毎回へ〜〜!と思いながら読んでいます。大徳寺等からも冊子を送っていただくので読んでいると、精神的にもお勉強的にも勉強になることがいっぱい詰まっています。有難いです。
空海は最澄と同じ時に遣唐使として入唐(にっとう)されました。お二人は違う船に乗船されご一緒に松浦郡田浦(まつらぐんたのうら)から出帆されましたが、空海の船は最澄の船とは暴風雨で離れて、福州に漂着されたようです。
長安に入られた空海は恵果和尚に出会われ、灌頂壇(かんじょうだん、水を頭頂に灌ぎ真言密教の教えと法を伝授する灌頂の為の壇)に入られ「遍照金剛(へんじょうこんごう)」の法号を授けられ真言密教の第八祖になられた後ご帰朝なさいます。この時に明州の浜辺から投げられた「飛行の三鈷(さんこ)」のお話しは有名で、今でもこの「三鈷の松」の葉を拾うと御利益があるそうですね。「高野山」の冊子には毎月「空海の言葉」が書いてあります。
「茶湯の淡会(たんかい、ささやかな、心のこもった会)を設け 醍醐(だいご、最上の味覚)の淳集(じゅんしゅう、心を込めて集める)を期す」(お大師様が護命僧正の八十歳のお祝いのお茶会を設けられた時のお言葉だそうです)ささやかでも心のこもった会を催された!と解説くださっている言葉に、「南方録」の「宗易の云く小座敷の茶湯は第一仏法を以て修業得道する事也。家居の結構、食事の珍味を楽とするは、俗世の事也。是れ仏の教、茶の湯の本意也、水を運び薪をとり、湯を沸かして茶をたてて、仏に供へ、人にも施し、我ものむ、花をたて香をたき、皆々仏祖の行のあとを学なり」と同じ精神だなぁ!と感じ入りました。
南方録のこの言葉は、学園時代の夜の勉強会(夜の点呼後、廊下に座って少し勉強します)で唱えて覚えさせられました。茶道にとって大事な精神ですね。
宗香
2025/09/15