昭明太子のお墓?

本日は暁の茶事の講習をさせて頂きました。講習なので本当に夜明けにする事は難しいので最初はお部屋を真っ暗にして夜風にしました、ですが雰囲気はとても良かったので安心致しました。

文選(平安時代などは教養として読まれていたとの事、これを読んでいれば中国の絵や絵付けの絵等どんなお話が描いてあるのか分かるのでしょうね!でも読めない!)編纂された昭明太子のお墓だろう!という場所が江蘇省で見つかったとニュースに載っていました。壁には竹林の七賢図(これは有名ですよね)、羽人戯虎図(調べましたら、羽人(仙人)が光焔を放つ植物を手にして龍や虎を導き飛行する図という事でした。奈良の吉備塚古墳の出土品の刀身にこの図柄があるらしいです)日本、中国、世界中で色々なものが発見されて、へ〜〜!こういう事だったのね!と私には分かりませんが🤣専門家が解説してくださると面白くなりますよね。私みたいによく分からない者にも分かるように説明してくださる事は有り難いです。窯跡も然りで何処かで発掘して分かってくる事が沢山あって、その度にこれは今までの説であってたね!とかえ〜〜!じゃあ今まで信じてた物は何だったの?なんて事が沢山あって、すごく面白いです。私なんてボンヤリしてても専門家がお勉強してくださって聞くだけですから気も楽だし楽しいし嬉しいですね!

昭明太子は梁の武帝の長子だった方で学問が出来て天才だったのでしょう!(良いなあ〜〜!)沢山学問をなさって色々な文や詩を集めて文選を編纂なさったのだそうです。その中には屈原の話もあると書いてあります。行きましたね〜〜!汨羅江!懐かしいです!屈原が時の王の政策に異をとなえ宮廷を追われ時が経ち国を救う望みがなくなり絶望して端午節に汨羅江に身投げをしてしまいます、地元の人は龍舟(ドラゴンボートとか長崎のペーロンはここから始まったと伝承されている様ですよ)を漕いで助けに出ますが助けられず、屈原の身体が魚に食べられない様に粽を投げた、というので端午の節句には粽を食べるようになったという事です。今はまだ桃の節句の季節ですね、七段のお雛様を飾るのはなかなか大変でいつも出したり出さなかったりします、毎年出すのは比較的出しやすいお雛様(母の短歌の先生で紙塑人形を創始した鹿児島寿蔵先生のお弟子さんの作です、鹿児島先生には私も若い頃可愛がっていただきました)今年も主人がそのお雛様を出していたのですが孫3号が大きいお雛様出して!!と大騒ぎ、何でも自分の要求が通るまで言い続ける子なのでこれは厄介だぞ!と思っていましたら予想通り二日間おじいちゃまと私についてまわり、お雛様お雛様と言い続け、根負けしたおじいちゃまは 、じゃあお内裏様とお雛様だけだからね!!と言いながら出していました。やっぱり負けたのね〜〜!と見ていた私!おじいちゃま片付けもよろしくね〜〜!